古屋博敏 オフィシャルサイト
『君が小澤征爾氏が音楽監督を務める”東京のオペラの森”の調律師なのは知っているよ。僕も出演したからね。君が調整したピアノはパーフェクトだ。このピアノならば国際放送の収録にも十分使えるよ。』

ユンディ・リ(2000年ショパンコンクール覇者)
『上海万博のドキュメンタリーは、SMGにとって大きなプロジェクトであり国家事業だ。それ故、日本で最も信用の置ける調律師を探していた。今回は、ユンディ・リのパートナーとして君を指名したい。』

SMG(上海メディアグループ)プロデューサー
壮大なスケールの創作活動によってもたらされた、名声と地位。そして葛藤の日々
古屋博敏というスーパースターを語るには、一言では片付けられない様々な分析を必要とされる。

若くして種々の才能を開花させ、スターダムの地位へと一気に上り詰め、マスメディアからは『日本を代表するチューナー』『歌手、タレントとして著名』な人物と書き立てられ、人々からの期待を背に、名実共に『世界の古屋博敏』を演じなければならない彼が存在してきた。 様々な憶測が飛び交う中、表面的には決して困惑した古屋は見受けられず、相変わらず自由奔放なアーティストとしての彼がクローズアップされ、古屋の本音が語られることは余り無かった。しかし、古屋自身が自らを『職人肌』と称する通り、そのストイックなまでに物事へ拘る姿勢は、時として周囲からの猛反発や理解を得るのに相当な苦労が存在したようである。 私自身(筆者:いとうさぶろー)、今回のインタビュー記事を公式サイトのプロフィール覧に採用するとのことで話をもらい、彼のことをそれなりに知っていたつもりではあったが、やはり『人間・古屋博敏』を理解するには、相当難解であると感じさせられた。現在彼の口から語られる、アーティストとして自身の中で消化し切れていない多くの葛藤は、若くして獲得してきた名声とは裏腹に、簡単ではない古屋の立場を考えさせられる。 古屋の創作活動の場が広範囲であることは、周知の通りである。2000本以上の大規模な興行をこなしてきた、著名チューナー(ピアノ調律師)としての確固たる地位。その地位は余りに強固であり、音楽家のみではなく、世界のVIP達がこぞって古屋に直接指名を入れるほどの知名度である。『日本へ行くときは、必ず古屋をスタンバイさせるように』、こうした直接的な指名が世界各国の要人達から寄せられる。また、歌手として数万人規模を動員する音楽祭に抜擢される他、様々なセッションに参加する一方、国内外のアーティストたちを様々な形でサポートし、映像ピアノプロデューサーとして、オリコオン・シングルチャート1位を獲得する作品への関与、スーパーブランドメーカーでのファッションモデルなど、創作意欲を前面に押し出す古屋の活動スタイルは、時としてファンや人々を困惑させてしまうほどの範囲に渡ってきた。しかし、古屋自身は全てにおいてのスペシャリストであることを大前提とし、『多方面に渡る活躍と捉えられること』を極端に嫌っている。表面的には多面体に見える活動も、実際にはあちらこちらに気が散るわけではなく、必ず何かしらの形を残し、全てが彼の中で統括されているという。彼は率直にこう語った。

『僕をマルチな人間のように扱う人も、また話す人、話題として書く人もいらっしゃるでしょう。でも、僕自身は決してマルチな人間ではなくスペシャリストであると思っています。ですから、言葉を変えればゼネラリストになるほどの能力の持ち主ではなく、ある一定のことに集中することが出来る程度の人間です。僕の創作活動は、セパレート(縦割り)のように見えるかもしれませんが、実は全てが自分の中で繋がっていて統括されています。例えば”音色”という言葉がありますが、言葉に脚注を加えれば、”音”の”色”ですから、音色を司るチューナーは、色彩感覚を本来必要とされるはずです。ですからセンスと才能が最も重要である仕事のはずです。でも一般的にそのような見解は無く、ある一定の訓練が最も重要とされています。基礎は勿論必要ですが、音色を追求し続けるにはセンスの良い色彩感覚の持ち主であることが重要であるはずです。そういう意味で言えば、ファッションモデルはピアノの仕事に一役買っていますし、ピアノプロデューサーは”絵”としてピアノを理解しますから、そこにも構成力や色彩感覚が必要とされます。このように、僕の中で全てがそれぞれの感性を刺激し合って統括されているんです。』

この発言を見ての通り、古屋の視点は余りにアーティスティックであり、理解も簡単ではない。『言われてみれば、そうかもしれない。』と思わされる哲学が多く、稀に見る天才ならではの一面を垣間見ることができる。
日本を代表する立場として
国内アーティストにおいては、小澤征爾氏が音楽監督を務める『東京のオペラの森』にて、チーフコンサートチューナーに着任し、東京国際フォーラムで行われる『ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン”熱狂の日”音楽祭』においても、同じくサポートメンバーとして名を連ね、東京で行われる大音楽祭における活躍も著しい。
それらあらゆる大きな興行や行事おいて、日本を代表するアーティストたちとの交友は相当に深く、個人的に付き合いのあるアーティストたちも多岐に渡っている。
また、上場企業から海外メディアに至るまで、その実績は書き切る事の出来ないほどの量をこなしており、具体的には『上海メディアグループによる2010上海万博ドキュメンタリー番組内』においては、日本で最も信頼の置けるチューナーとして抜擢されるほか、世界一の規模を誇るスーパーブランドメーカー/ルイ・ヴィトングループ(フランス本国・国内拠点双方からの依頼)、国際交流基金、ソニーレコード、ビクターレコード、キングレコード、フォンテック、梶本音楽事務所、NHK、日本テレビ、読売テレビ、テレビ東京、エキスプレス、電通グループ各社、アサツーディ・ケイ、フジサンケイグループ、東映、文化庁、東京都庁、東京大学など、国際社会を代表する企業や官公庁からの依頼をこなしている。
これらコンサートチューナーとしての仕事を軸とした様々な人間関係構築の中で、業界関係者との親睦が深まり、元来幼少から表舞台を経験し、持ち前のルックスも相俟って再び表舞台への期待が業界内で再燃する。その時期を古屋はこう語る。
『急に取材や出演依頼が出始めて、一体何なのか良く分からないと言うのが正直な感想でした。僕は興行で走り回っていましたしが、とにかく次々に舞い込んで来る話に当初は相当に慎重になっていて、何から手を付けて、何が自らの仕事と出来るのかを選別していました。芸能関係者に友人が多かった為、どう動いて行くかについては相談に相談を重ねました。目の前の名声などに惑わされてしまうと、足元がおぼつかなくなって行きますから、先ずは地固めをしたかったんです。』

音楽教育は、幼少の頃に徹底された時期もあったが、クラシックよりもポップスやロックに興味を抱いていた少年時代だった。しかし、少年時代に海外との落差を感じ、青年期は海外アーティストをはじめとしてサポート側に回って仕事をこなしていた。しかし、業界内での動きが活発化するにつれ、様々な業界関係者の目に留まり、結果現在の『古屋博敏という特異なタレント』が生まれる形となった。
才能をどう使い切るか
『なぜ調律師で留まっているのか?』
度々古屋は、周囲からの質問にあったという。

『もっと才能を使い切れ!もったいないぞ!』
こうも言われたという。 しかし、古屋はこう思っていたそうだ。

『一度志したコンサートチューナーという仕事。確かに夢という夢は殆ど果たしてしまったかもしれないが、この仕事に忠実であることも大切だと。』 しかし、実際の仕事はピアノプロデューサーや、音のみではなく映像に関与する仕事を請けている現状があり、能力を使い切れていない自分を感じていたとも本音を語っている。
『芸術や音楽、全てとは言いませんが、もう少し自らがクリエイターとなるポジションを得たいと思っていました。僕の大親友であるピアニストは、”古屋の表現者としてのパワーは、コンサートチューナーという立場だけでは収まり切らないはず”と常々言われ、実際に行動に出た現在の僕を彼がどう評価するか非常に心配でもあったんですが、実際のところ喜んでくれ、”これぞ古屋という活動をして行って欲しい。ただ、総合的な芸術に関与して行く訳だから、調律にも磨きが掛かって行くと読んでいるけど。”との見解をもらいました。近くにいる人たちは、誰からも僕の可能性を広げる活動を勧められていましたが、勿論慎重派の言葉もありました。それらの意見を大切に自分に照らし合わせ、そして僕自身の中で燃えている情熱を一気に爆発させる時期に達したと思っています。』

余りに才能を与えられ過ぎたが故の苦悩、そして余りにピュアな思考パターンで繰り広げられる創作活動は、古屋博敏を考えるときに欠かせない条件となってくる。もし、彼が平凡な人間であったのであれば、激しい喜怒哀楽に苛まれることも、人々からの目も気にする必要はなかったはずである。

古屋とのインタビューを進めて行くうちに、彼へある種の違和感を感じた。 というのは、通常この若さでスターダムへと上り詰めていく人間というのは、往々にしてそれなりの重圧を掛けてくるものだ。それは公の人間となることで、ある種の戸惑いや人間不信に陥る時期を通り越す為に、必要不可欠ともいえる要素と捉えていた。しかし、彼とはもう10年来の友人のように話を進めることができる。これは非常に不思議な感覚であった。このことに、彼は気付いているのか聞いてみた。

『貴方と会う前、私はそれなりに緊張して今日を迎えました。ある一定の地位を得た人たちは、それなりに重厚感のある雰囲気で話をされますが、古屋さんは違って感じます。資料から得られたイメージは、物凄く気難しい方と思っていました。しかし、今はすっかりリラックスしてしまっています。話すジャンルも広いですし、仕事に対しても非常に前向きな話しか出てこないので、ポジティブな思考が私にも感化して、聞くことを躊躇わずに質問をぶつけることが出来ます。古屋さんは、いつもこういう方なのですか?』

彼は微笑を浮かべながら答えてくれた。

『いつもこういう人間なのかどうかは、三者三様に感想があると思うので何とも言えません。しかし、僕も昔は、高圧的な態度を見せる一面を持っていたと思います。でも、そうすることで何も産み出せない事に気付いたんですね。コンサートだって、ライブだって、レコーディングだって、撮影だって、とにかくモノを創る時にはチームワークで全てを動かしますから、個性が強くても良いのですが、周囲の空気をやたらに締め付ける必要は無いと思うんです。そもそも、そういった現場にいる方々は、プロ中のプロが多いわけですから、そこで機嫌を損ねて態度を一変させることは、単なる我侭だと思うんですね。とにかく集中すべきは創作であって、他の何者でもないはずです。そして大切なものは、モノ創りに一生懸命であるということだと思っています。今日のインタビューも言ってみれば創作活動の一環だと捉えていますよ。』

物事を遂行して行くのであれば、常に最高峰を狙って行きたいという古屋。結果はあくまで自分の努力の結晶であり、何処まで突き詰められるか自らの中での戦いでしかないと語る。

『作品を創り上げるとき、最終的には自らの可能性を何処まで引き出せるかに掛かっていると思います。演者であれ、サポート側であれ妥協は絶対に許さない。練習魔と言われようが、詰め込みすぎと言われようが、自分がやれる限界のところまで徹底的にやり込むだけのこと。その作品を気に入ってもらえるのであれば、作品は世の中に出て行くでしょうし、喜ばしいことです。もう自分の中で眠っている可能性や情熱を呼び起こす必要性など無いところまで行きたい。既に抑えることは不可能ですから。』

最後の最後まで、会話は純粋さで満ちていた。余りにピュア故に誤解が生じる事もあるかもしれないが、この信念を貫いて欲しいと、筆者自身も感じる人物であった。



著:いとうさぶろー
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