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マスタリング参加曲が、ヨーロッパでヒット

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コラム:マスタリング参加曲がヨーロッパでチャートインColumn

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マスタリング参加曲がヨーロッパでヒットしたことで私に与えた影響


マスタリング・サウンドプロデュース参加曲 Die Denkaz の Pfusch am bar が発売から3週間で、Spotifyヨーロッパチャート7位にランクイン。ミュージックビデオは、1週間半で100万回に届く勢いで再生された。


ヒット曲が生み出されるというのは、多くの要素が重なり生み出されるもので、様々なポジションの人間たちが最善の策を講じることで形になるものです。先ずは曲がなければいけないでしょうし、アーティストたちのキャラクター、ミュージックビデオ、プロモーション、ありとあらゆる要素が必要であり、何というロジックというものを今のところ私自身は分かっていません。
その上今回のように、ヨーロッパの楽曲を担当しヒットとなると、そのロジックは尚更難しいものとなります。ここのコラムでも再三述べていますように、本家本元であり伝統あるヨーロッパの地では、音楽そのもの、加えて音の捉え方や価値観なども全く別次元でハイレベルです。その中で激しく戦えるだけの楽曲へ仕上げていくというのは、非常に多くの労力とともに、強い哲学をバックボーンとした確固たる価値観が形成されている中で制作が進まなければなりません。また、さらにヒット曲のロジックが存在するのであれば、それは相当に入り組んだ計算を必要とするはずです。ですので、今の所私としては、『自らの感性が共鳴し、この曲が好きかどうか』ということのみしか分かっていないと言えるかと思います。好きな曲は確かにヒットする傾向にありますし、自らの感性がヨーロッパ側と上手く共鳴できたことで、今日様々な国の楽曲を担当するに至っていることと思います。
しかし、『この曲は敢えてヒットを狙った音だった』と断言できるほどのものは持ち合わせていなく、様々な経験を通して得られてきた感性のみを用いて、今現在は世界で勝負しているというのが正しい表現かと思います。
そして今回の Die Denkaz のヒット曲へと繋がったわけですが、正直なところ自分でも信じられない境地へ入ることが出来たと感じています。今年の年始に、今年度中にヨーロッパでアワードを獲得したい旨を、様々な場で述べていましたが、メンバーのステファンから楽曲を担当して欲しいとの連絡をもらったのが1月で、そこからテレビプロモーション用のインタビューを自分も撮影したりと、3月くらいまで制作中心の動きがありました。ミュージックビデオの撮影状況は、オフィシャルのFacebookで常に流れてくる環境で、撮影と同時にアルバムの制作に向けて随時交渉が進行している状況でした。
音作りはと言えば、通常は数回のリテイク(やり直し)が入る中、たった一回でステファンからOKが出て、そのまま僕が最終的に作り上げた音でリリースされることとなりました。
そして4月27日にリリースされ、1ヶ月も経たないうちにヨーロッパで堂々の7位にランクインを果たしたわけです(2018年5月20日現在)。これまで多くの楽曲に制作参加してきましたが、欧米のチャートでランキングされるのは初めての経験です。5年くらい前までは、海外アーティストを担当するとは言っても、日本に来日してくるアーティストたちを国内で迎え入れ、そのツアーやライブ録音のリリースに参加するという形態がとられており、積極的に本国側のリリースに携わるというレベルのものではありませんでした。本国側とのやり取りとなれば、直接アーティストもしくはプロデューサーとやり取りする必要があり、そこまで行き着くにはかなり多くのキャリアを積み、世界の中での知名度というものが必要になってきます。ここへ来て、やっとその次元にまで行き着くことが出来たこと、そして多くの楽曲に参加する中で、こうしたヒット曲というものに恵まれることで、僕の環境は一気に変化したのは事実です
先ずはヨーロッパの中で中心的立場のドイツ人アーティスト・プロデューサーから、様々なオファーを受けるようになりました。これは楽曲そのものがヒットすることで、多く人々の目に触れるとともに、私の名前がクレジットされたミュージックビデオや、Die Denkazが発信するFacebookにタグ付けがされていることで、一気に知名度が上がってくれました。また、そこで得た知名度が基となり、様々なスタジオが僕の書いた記事をシェアしてくれることで、アーティストやプロデューサーに繋がっていったという循環が生まれました。
私のヨーロッパでの知名度というものは、メーカーのエンドースメント主導で行われてきたところもありましたが、今回のヒット曲のお陰で行き届いていなかったアーティストへのアクセスという意味で、一気に広がりが見られました。これはエンジニア・プロデューサーという立場とメーカーが親密なことは当然であっても、具体的なヒット曲を生み出すことで実績を上がられたことに、市場が付いて来てくれたのではないかと感じています。僕のもとには、ヨーロッパ各国のレコード会社のCEOやプロデューサー、そしてアーティストたちから仕事のオファーが日々舞い込むようになりました。
一番驚いたのは、ベルリンのアビーロード・スタジオの教育機関で教鞭を執る教授から、楽曲制作におけるマスタリングで相談を受けたことでした。彼は既にプロデューサーとして成功していますから、アビーロード・スタジオ内のエンジニアを使うことも可能だったはずですが、私に敢えて声を掛けてもらえたというのは、1つ大きなステップアップと改めて感じることが出来ました。
これまでもそうでしたが、1つのチャンスが1つの実績へと導いてくれ、そこで得られた実績が次のチャンスへと導いてくれる・・・そんな出来事の連続です。
今回自分に起きた出来事は、これまでに積み重ねてきた努力が、一つの形として纏まってくれたことを意味していると感じています。