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コラム:欧米の哲学から音について考える。

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欧米の哲学について考える。

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気が遠くなるほどの長い期間を掛けて創られたケルン大聖堂。起源から換算すれば、1400年以上の時を経て、現在尚建設途中の箇所もある。


皆様御存知のように、ヨーロッパにおける哲学の歴史は長期に及んでいます。それはローマ時代よりも更に遡り、ギリシャ哲学でソクラテスやプラトンなどが活躍した紀元前にまで話を巻き戻す必要があります。当時は数学や自然学を哲学として扱うことも多く、現代のように思想や思考法のみを限定し、総して哲学と呼んでいたわけではなさそうです。
その哲学が移民の国アメリカに飛び火したことで、更に自由な発想と精錬された思想の構築を促したことで、世界のリーダーとして20世紀を謳歌したと言えるかもしれません。
ここで再度話を過去に戻し探索してみたいと思いますが、世界的な著作として現代でも通用する紀元前の哲学は、ある種の完成を見ていたと定義できるかと思います。勿論哲学ですから、後に批判されたり否定されたりといった過程を経るでしょうが、それらも完成しているが故当然の科学反応とも言え、思考法のストラクチャーとしては高い精度で完成していたものと言える裏付けと定義できます。そこで考えたいのが、紀元前に既に現代にも通用する哲学が西洋で生まれ、それがローマ時代や中世を経て更に精錬され、民族支配や奴隷制度はあったにせよ、様々な国際的批判にさらされ、時代に翻弄されながらも彼らの哲学というものが全世界に広がったことは確かです。事実現在の体制である資本主義は、明らかに西洋文明から昇華した統治体制であり、その上に建つ国が現在では大多数という状況を考えるだけでも、古代で考え出された西洋文明における哲学の強さというものを感じさせられます。
これらを現代の音楽文化に当て嵌め、先の文面を前提に西洋の哲学を紐解いていきたいと思います。
古代の哲学が現代に通用する次元で書かれていたように、彼らの考える時間軸というものは、非常に長期にわたる目線で組み立てられていると感じることが多々あります。それは政治や経済の分野でも同じく、数十年という単位は彼らにとって最低限必要な期間であると共に、その時間軸を巧みに用いた戦略も非常によく組み立てられていると多々感じます。そしてこれら長期にわたる戦略を用いることが出来るにも拘らず、時代の最先端を行く新たな試みを行う思考の転換も得意であり、常に世界を長期に渡りリードしてきた理由というものを感じさせる理由がハッキリと見て取れます。例えば日本という国自体、また日本企業が一時期世界を席巻した時代があります。高度経済成長と言われた1954年から1980年台まで、確かにエンパイアステートビルを買収するほどの栄華を極めました。しかしその20数年間の後には、一気に体力を失い現在に至っています。それは何故なのか?長期にわたる繁栄、そして豊かさという意味で何が持続させなかったのかを同時に考えなければなりません。
日本は確かに繁栄した時期があったのかもしれませんが、その背後には大きな経済力を支えるほどの、真に豊かな哲学の構築が出来なかったのではないかと私は考えています。なので短期的、または表面的と表現できる期間・深度で、豊かさが急速に失われてしまったのではないかと考えています。しかし、欧米には繁栄というものを長期間扱ってきた長い歴史があり、反映したからこその失敗も多数経験しているわけであり、それ故になおさら長いスパンで物事を考慮する習慣が身に付いていると言えるかもしれません。このように長年繁栄と失敗を繰り返してきた彼らだからこその強力な思想があり、そして代々脈々と受け継がれる哲学が成功の精度を高めているのではないかと感じる経験を多々しています。


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ワインでもてなしてくれた、ドイツの最新鋭スピーカーメーカーKii Three AudioのクリスCEOと共に。保守的な町並みに佇む自宅には、並外れた先端技術を用いた自社のスピーカーが展示されている。


これまで述べてきましたように、最先端や最高峰という名の技術や開発また文化というものは、偶発的に発生したものではなく、長期に渡る哲学の結集であり、その哲学こそが更なる飛躍を遂げるきっかけを与えるものともなります。ですので、この西洋ならではの哲学を理解できない限りは、それが音という分野に特化したものであっても、奥底にある思想・思考法が理解できてこそのものであり、欧米の考える聴き方というものをも実現させるでしょうし、彼らと共に感動を味わうことも出来るのだと考えています。単に『音』という理解のみに留まってしまうと、単に聴くということのみに目が行きがちですが、聴くポイントが何処へ向いているかというのは非常に重要です。例えばレコーディングエンジニアであれ、ピアノ調律師であれ、そもそもの耳の良さや才能というものを求められますが、一定のトレーニングで誰でも出来る技術であることも確かです。耳の良さや才能は、一定以上を超えてくるレベルの話であり、感受性や洞察力を含む総合能力を必要とする才能を論じるには、また次元の異なる話として扱う必要性があります。今日行われている、平均的なレコーディングやピアノ調律は、ある一定の水準にまとめ上げることであり、トレーニングで万人にとって可能な技術です。この一般的な聴き方、思考の組み立て方を覚えた人たちを国内ではプロと呼んでおり、特異な能力を持ち合わせる人を指していないこともまた確かです。
これら一定の技術を習得する折に必要とされるものは、『その聴き所』であり、何ら特殊能力を必要としません。では、特異な能力と一定のトレーニングで得られるものを、どう住み分けし欧米式の聴き所を説明し、尚且教える国内機関というものは、どれほどあるでしょうか?そして、本来はその聴き所が、欧米の強力な哲学を背景とし深い洞察を必要としていることを、どれ程の人が意識し、何を才能として扱うのかを理解しているでしょうか?
恐らくは、国内で皆無と言える考え方でしょう。
何を持ってして、ここまで音の価値、作られる音が日本と欧米で異なるのかを、哲学の分野からエクスプロールし、体系化された説明を行ったものは見たことがありません。どう聴くのか?どう考え、どういう思想でその背景を捉え理解するのか?この部分を考慮しない限りは、永遠に西洋の音・音楽の核心に近づくことは出来ないと現在は結論づけています。
西洋音楽ならではの聴きどころを掴み、且つその強力な哲学を体の芯から受け止められる日本人が出てくるとするならば、それこそが正に新世代の音楽人と言えるのではないでしょうか。